スウィートブライド代表中道亮物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2010年8月。

大きな挫折からちょうど一年になろうとしていた。

僕は特別な未来を想像する訳でもなくただその日その日を精一杯生きてきた。

でもまだ傷が癒えきれない僕は、姫路のメイン商店街であるみゆき通りなどは全く歩けていない。何となく陽の当たる場所を避けているというか、そういうところを歩けない自分がいる。

オードリーウェディング時代は神社挙式の事業が大きな柱だったので、神社という存在はいつも身近にあり、そこで多くの学びを受けていた。

でもこの一年、神社にも行っていない。
何だろうな・・・、神社の大きな鳥居を前にすると自分自身が委縮してしまうんだ。

お寺は敷居が低くて懺悔する自分を迎え入れてくれるように感じるけど、神社は正義の塊が後光を輝かせ鎮座していて、僕なんかが鳥居をくぐろうものなら怪訝な表情で追い払われるような、そんな感情を抱いていた。

大きな挫折をするまで、神社がこんなに恐ろしいところだったとは思いもしなかったな。

そんなある日、僕はある教会を訪れた。
姫路の少し北部にある隣の敷地で保育園を運営している小さな教会だ。

建物に入り、僕は聖堂のある2階に上がった。
中央には大きな十字架があり、そこを取り囲むように中世を思わせるような美しい彫刻が施された古い木の椅子が並んでいる。十字架の横のステンドグラスからはキラキラと光が舞い込んでいた。

「中道さん、おひさしぶり!」

年齢は60歳くらいだろうか。細身でダンディな雰囲気のある牧師先生。先生と会うのは数年ぶりだ。

「先生、今日は時間とってもらってすみません。ちょっと色々あって、懺悔しに来ました(笑)」

牧師先生は僕の顔をじっと見つめた後、僕の手をとってステンドグラスの前まで連れていった。そしてその手をステンドグラスにそっと合わせた。手で触れてみると、そのステンドグラスは平面ではなく、表面が突起したデコボコしたガラスだった。そしてそこに色々な色が貼り付けられていた。

(デコボコしてるから、光が色んな方向に反射してるのか・・・)

近くで見ると本当にキレイな光で、僕はうっとりとそれを眺めていた。そんな僕に牧師先生が語りかけてきた。

「中道さん、全ての人は平等に幸せになる権利があるんです。このステンドグラスから入ってくる光は中道さん含め全ての人を照らしてるんですよ。善人も悪人も皆平等です」

「先生、こんな僕でも幸せになれますか?」

「もちろん。中道さんは幸せにならなきゃ」

僕はその牧師先生の言葉に涙腺が崩壊し、不覚にもそのステンドグラスの前に倒れ込み慟哭した。

(人前であんなに泣き崩れたのは初めてだった。この日の事はおそらく一生忘れないだろう。僕にとっては大きな大きな出来事だった)

「生きることは学ぶこと」そして「生きることは幸せになること」と、牧師先生は教えてくれた。この日僕はまだまだ立ち直れていない自分を知った。

(もう一度ちゃんと自分自身と向き合わなきゃな)

その日の夜。
僕は大好きなジョニ黒をロックでやりながら、自分自身と対峙した。

この一年、僕は生活のために請負の仕事を手あたり次第に受けてきた。そうしながら仕事との繋がり方を模索していた。

そこで気づいた事があった。
僕自身は根っからのベンチャー気質のようで、フリーランスで請負の仕事を承るスタイルよりも、自ら何かを立ち上げて発信していくスタイルが好きなんだと。

僕にとって事業とは、僕の居場所でもあった。
オードリーウェディングという存在はまさに当時の僕にとっての居場所だったから。

生き方が不器用な僕は、自分の居場所は自分で作るしかないんだろう。そう思うとそろそろ新しい事業を真剣に考える時期にきたのかもしれない。そんな風に思った。

でも人生哲学というものは、ビジネスとはまた別のところにあって、この一年、僕はその事も一生懸命考えてきた。

ワイフのこと、息子のこと、そして自分自身のこと・・・。

どん底に落ちたおかげで色んな事が見えた一年だった。さらにワイフという大切な存在を改めて実感する一年でもあったように思う。

僕の人生の全てをワイフに捧げたい。
今はそれが僕の全てのように思った。

2010年9月1日。

姫路マンハッタンホテルが撤退し、そこを買収するような形でピアホテル姫路がオープン。マンハッタンホテルで深夜バイトをしていた僕は、マンハッタンホテルのはからいでピアホテル姫路でも引き続き勤務させていただく事になった。

ただこれまでの地方ホテルと違い、全国区のホテルなので仕事のやり方や考え方など全てが違い、当初は業務内容を覚える事に必死だった。マンハッタンホテルから継続してバイトしてるのは3名だけでその他は新しいスタッフに入れ替わっているので、人間関係もゼロからのスタートになった。

何かが色々動き出したような・・・、そんな気持ちだった。

2010年10月1日。

ワイフの誕生日。
もう誕生日なんて嬉しくない年齢になっているだろうけど、本人よりも息子たちにとって大好きなママのバースデイは楽しい一日のようだ。

息子たちからワイフへのプレゼントはビデオレター。

兄弟による初の輪唱「森のくまさん」の歌のプレゼントだ。4歳の次男が頑張って、おっかけのフレーズを担当。初めてにしてはなかなか上出来な輪唱だ。

夜は人気のバイキング店で好きなものをたっぷり。デザートもいっぱいだから、ちょっとした誕生日パーティーになったかな。

息子たちがいるおかげで全てがとっても楽しいイベントになる。子供というのは、本当にありがたい存在だと実感する。

夜になり息子たちが寝静まってからバランタインをあけた。ワイフは水割り、僕はロックで。
そして僕たち夫婦にとってとても大切な曲、リチャード・クレイダーマンの「鳥を夢みて」をかける。

僕とワイフが恋におちたあの頃が蘇る。

「もっと楽しく生きたらいいんじゃない?」
これは昔からワイフが僕によく言う言葉。よじ登ろう、這い上がろう・・・という感じで、自ら辛く険しい道を選んでいるように見えると、いつもワイフから言われていた。

「自分のレベル以上を求めると疲れるでしょ。もっと自分のレベル内で目いっぱい楽しめばいいじゃない。」

確かにそうかもしれない。

リチャードクレイターマンの「鳥を夢みて」を聴きながら、色んな事を思い浮かべる。でも僕は過去を振り返っても、楽しいと思える記憶があまりなくて・・・。それは常にこのままじゃダメだ的な脅迫観念の中で生きてきたからにほかならない。

年齢を重ね、また失敗を重ね、少しずつ肩の力が抜けてきてはいるけど、まだまだ自分の中のコンプレックスのようなものが大きく心を支配している。

ただワイフの言ってる事もよくわかってるつもりだ。
たぶん、生き方のバランスが悪いんだろうな。少しずつでいい、ゆっくりと自分を変えていきたいと思う。

いつも笑顔で、そして今を楽しく・・・・。