2010年3月。
朝9時。姫路マンハッタンホテルでの深夜バイトが終わった僕は姫路駅から電車に乗り芦屋に向かった。新快速で約50分。仮眠にはうってつけだ。
JR芦屋駅で降りて川沿いを北に上がっていくと大きな幹線があり、そこに沿って西へ少し歩くと恩田彩さんが経営するエステサロンが見えてくる。
(芦屋の一等地。バカでかいビル。すげぇな・・・)
僕は少し物怖じしながらそのキラキラしたビルの中に入っていった。
すぐに若い女性スタッフが出てきて奥の方の「VIP」と書かれた部屋へ案内してくれた。その部屋には大きなソファとローテーブルがあり、お客様のコンサルティングをする部屋なんだろうなと察しがつく。
(お客様はたぶんお金持ちのマダムばかりだろう。)
そんな事を思いながらでてきたコーヒーをいただいていると、恩田さんが入ってきた。
「中道さん、久しぶり!今日はわざわざ芦屋まで来てくれてありがとうございます。早速だけど、ホームページの案というか私の希望をまとめてみたので見てください」
恩田さんの都会的なイメージとこの店の世界観からカッコいい企画書がでてくるのかと思っていたら、手渡されたのは、何とも可愛らしい手書きのとってもアナログな要望書だった。
「ブランドコンセプトはこれで!ターゲット顧客はこれで!っていうような超ビジネス的な企画書かと思ってたけど、めっちゃ手書きですやん(笑)」
「アハハ!私ね、そういうの一番苦手なんです。インターネットも全然わかんないし。でもこんな風なホームページにして欲しいっていうイメージはしっかりとあるので、そこを中道さんにわかって欲しくて」
「なるほど。今、これざっと見ただけで恩田さんが望むイメージはだいたいわかりました。じゃこのイメージをもとに僕の方で作ってみます」
「でも私、細かい部分とか結構うるさいですよ(笑)バンバン言っちゃうと思うけど、よろしくお願いします!」
「いやいやそれこそ恩田さんのキャラですよ(笑)まぁ僕に任せてください。今日はこの後、店内の全景や細かいイメージを色々撮影して帰りますね」
仕事の話は10分そこそこで終わり、1時間ほど雑談。
色々話してると、華やかそうに見える彼女の裏側にある苦労と負けん気と努力がなんとなく見えてきて、少し恩田さんが近く感じられた。
店内の撮影も終わり恩田さんの店を出た僕は再び芦屋駅から電車に乗り三ノ宮へ向かった。
三ノ宮駅から北へ坂を少し歩いたところにあるスポールに来た。北欧のブランドチェアやテーブルが無造作に置いてあるカジュアルでオシャレなカフェだ。
待ち合わせの相手は、春本香織。
恩田さんのエステサロンのホームページの話はもともと彼女からの紹介だったので、受注のお礼と今日の報告と、そんな感じ。
僕は先に入り、珈琲を注文した。
すぐにバタバタと階段をのぼる足音が聞こえてくる。
(このがさつな感じは間違いなく香織ちゃんだろうな)
ガラス扉の向こうから手を振って元気に入ってくる彼女を見てると、一瞬でこっちまで元気にさせてくれる。彼女のイベント会社がうまくいってる要因は、彼女のこのパワーなんだろうなと改めて実感する。
香織ちゃんには今日恩田さんに会った報告と今後のホームページ納品までのだいたいの流れを伝えた。
「そうそう、中道さんがブライトリングの岩崎さんと一緒に仕事する話って、そもそも鈴木さんからの紹介だったんでしょ?」
「あ、そうか。香織ちゃん、鈴木さんと仕事で接点あったんだよね」
「この前イベント会場で鈴木さんと一緒になってちょっと話をしてたら中道さんの話がでてきてね、鈴木さん中道さんの事心配してたよ。」
「そうなんだ。なんて心配してた?」
「中道さんに紹介したチャペル会場の話、悪くはないんだけど、ちょっとリスクも大きいように思う、って」
「うん、まぁね。その件については、そろそろ岩崎社長に返事しないといけないんだけど・・・。この前、ロフォンデにも行ってきてレストランウェディングの話もしてきたのよ。北野でやるならこの形しかないからね。」
「私はこのあたりで仕事してるから感じるんだけど、今は北野界隈はなかなか大変だもんね。店じまいするところも増えてきたし。でも中道さんが神戸に出てきてくれたら、私はすごく嬉しいけど」
「今月中には結論出さなきゃね・・・」
しばらくカフェで香織ちゃんと雑談した後、僕はそのまま坂をのぼり北野へ向かった。
ランブルームへ行くでもなく、ロフォンデに顔出すでもなく、ただ北野の街を歩いた。元気な会社もあれば、元気じゃない会社もあり、元気そうに見えてても内情はよくない会社もある。
(ただ街を歩くだけでは見えない部分ってあるんだろうな)
そんな事を思いながら、お客様の導線を今一度確認する。正解なんてものは無いから、僕自身の感覚で良いのか悪いのかを見極めるしかない。
色々考えながら歩き、異人館萌黄の館前のベンチのところに来た。
(最近北野に来たら必ずここで缶コーヒーだなぁ)
だいたいは楽観的にポジティブに進んでいく性格なんだけど、今回はリスクばかりが頭の中を巡っていた。
軌道に乗っていたオードリーウェディングとしてなら北野出店もあったかもしれないけれど、今の失敗してすぐの瀕死状態の僕が挑戦の第一歩を踏み出すにはまだ時期尚早のような気がしてならなかった。
缶コーヒーを飲み終えた僕は、とぼとぼと北野から三ノ宮駅へと歩いた。街の景色、そして街の匂いを感じながら、僕はどうあるべきなのかを自問した。
やるか、やらないか。
三ノ宮駅に着くとタイミングよく姫路行きの新快速が到着。僕はそれに飛び乗る。
姫路駅に着いたらまだマンハッタンホテルのバイト時間まで少しあったので、プチウェディングの事務所に顔をだす事にした。
プランナーの山下洋子が独りバタバタと書類を整理していた。
プチウェディングの春の結婚式の成約が一気に増えてきたので、ちょっとパニックになってるんだろう。プランナーなら誰もが通る道だ。
僕は頭の中で新郎新婦様の資料を暗記して進めていくタイプだけど、山下さんはキッチリと新郎新婦様それぞれのカルテを作り、整理しながら進めていくタイプのようだ。まぁそれの方がいいに決まってる訳で。
僕の顔を見るやいなや、たまりにたまった報告や質問がとんできた。
責任感が人一倍強いから僕に全てを依存してくる訳ではなく、そのあたりの人の扱いは上手だなと感心する。
僕は彼女の質問にひとつひとつ答え、肝心な部分は彼女の采配に任せるようにした。プランナー一年生にしては質問内容もキチンと整理されてて、これなら一人で十分やれるなと確信した。
時計を見ると21時30分。
僕はプチウェディングの事務所を出て、バイト先のマンハッタンホテルへと向かった。
何となく今日は身体が重い。頭の中も考え事でいっぱいだからスッキリしないまま深夜バイトに突入した。
ただ、ホテルに入れば僕は一番下っ端のアルバイトな訳で、上長からの指示を受け淡々と仕事をするだけ。そしてバイト仲間がいるから、ある意味心身のリフレッシュにはなっているのかもしれない。
でも、今日の明け方の仮眠休憩はなかなか起きれなかった。
ウェブデザイン、ブライダル、そしてこのホテルバイトのどれもが中途半端な感じに思え、(僕は何をしてるんだろうなぁ・・・)と考えだすとどんどん気が重くなっていくように思えた。
北野の仕事をやる事になれば、おそらくは全てのパワーをその1点に集中してやらなきゃダメだろう。ウェブデザインもプチウェディングもこのホテルバイトも全て辞めて突き進むほかないと思う。
でもそこまでしても利益がでるという保障はない。
ただ、北野で仕事をするという昔からの僕の夢が叶う訳で、それは今しかないんじゃないかと思うところもあり、そのあたりが大いに僕を悩ませた。
朝9時。ホテルのバイトが終わり姫路駅へ。
芦屋に行く予定だったので、昨日は自転車ではなく電車での通勤にしていたんだ。
今日は午後からホームページの打ち合わせが2件入っていて、一度電車で家に戻りご飯を食べて少し休んでから車でクライアントのところに行く予定にしていた。
しかしうかつにも姫路駅ホームのベンチで寝てしまい、目が覚めると12時だった。
(わぁ!しまった!最悪・・・・)
スマホを見ると、『あれ?今日は帰ってこないの?』とワイフからメールが入っていた。
『今、姫路駅。12時10分発の電車に乗るから網干駅まで迎えにきて。帰ったらご飯食べずにすぐに営業に出るわ!』
(あぁ・・・、何してる事やら・・・)
帰宅して服だけサッと着替え、車で出かけた。
ケーキショップとイタリアンレストランの2件。今日はどちらの店も商品撮影の日。飲食店のホームページでは今月のメニューというコンテンツがあるものなんだけど、僕はカメラが趣味なのである程度の料理撮影は僕自身がしている。
明確に撮影料としてもらってなくて、僕のホームページ管理費にはこういう撮影がおまけでついてくるという感じで、結構重宝されている。
昨日芦屋のエステサロンで撮影した写真の次に、ケーキとパスタの写真が追加されていく。
打合せが終わり帰宅したら17時だった。
すぐに仕事部屋に入り、写真データをパソコンに流し込む。こういう仕事はスピードが命。撮ったその日にホームページにアップしてあげるとクライアントは喜んでくれるものだ。
しかし晩ご飯までに済まそうと写真加工をはじめるも、ちょっとこだわり始めるとそう簡単には終わらない。それがウェブデザインの仕事というやつだ。
結局、ケーキショップのホームページの更新だけ何とかアップして晩ご飯。
晩ご飯をサーッと食べ、また仕事部屋にこもり、次はイタリアンレストランのページ。更新作業が終わったのは21時だった。一応、それぞれのオーナーにアップ完了のメールを入れて終了。
そしてようやく芦屋のエステサロンのウェブデザイン制作に入ることに。
白紙のノートを広げ、トップページの構想と、どれだけのページ数がいるのかサイトマップを描いていく。
そんな時だった。
電話の相手はプランナーの山下洋子。何か問題があった訳ではなさそうだけど、独りでの準備事項が多く、間違いはないか!抜けはないか!が不安になってるような感じだ。
賢くてカンのいい女性だからヤバそうなポイントがわかるんだろう。
「ちょっと今からプチウェディングに行ってくるわ」
「え?今から?」
「うん。別にたいした事はないんだけどね。そんなに遅くはならないと思う」
「わかった。運転気を付けてね」
僕は服を着替え、車で姫路へ向かった。
その道中、運転しながら色々考えた。
ウェブデザインの仕事のことやプチウェディングのこと。今の僕のこんな状況で果たして北野のブライダルができるんだろうか・・・。
答えは明白のように思えてきた。
たぶん、ダメだな・・・