スウィートブライド代表中道亮物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2010年1月

今年から再スタートと意気込んで立ち上げたプチウェディングの仕事を最前線ではなく後方支援にまわった事により、僕は僕で生きていくために新たな事業を考えなくてはいけない状況になった。

そんな時だった。

僕への電話はたいてい朝一番にかかってくる。
この日もホテルでの深夜バイトが終わり、JR姫路駅の下り線ホームのベンチに座っている時だった。

電話の主は神戸で音楽事務所を経営している鈴木さん。
僕がブライダルプロデューサー駆け出しの頃にお世話になっていた人物。ただひたすらに明るい高田純次のようなタイプの60代くらいのおっちゃんだ。

(何の用事だろう?)

少し悩みながら、そして少しのストレスを感じながら、その電話に出た。

「中道さん!ご無沙汰!どう?絶好調?」

(相変わらず元気なおっちゃんやな・・・、今の僕にそのテンション合わせられないわ・・・)

「ご無沙汰です。相変わらず元気いいですね。で、何の用事?」

「実はね、僕が仕事で入らせてもらってる結婚式場の社長から連絡あって、北野で小さなチャペル結婚式をしてるんだけど、その会場を他社に運営委託をしようと思ってるようで、誰かいい人いたら紹介してよって言われてね、すぐになかみっちゃんの顔が浮かんで、どうかな?と思って」

(なんかよくわかんないけど、悪い話ではなさそうな・・・)

鈴木さんには今の僕の現状を簡潔に説明した。でも鈴木さんはその事に対して意に介さずという感じで話を続けた。

「なかみっちゃんがそんな状態なら、尚の事いいんじゃないの?そこ主戦にすればいいじゃん。そこの社長いい人だから!」

僕は相手の連絡先を聞いて電話を切った。
良いのか悪いのかはよくわからないけど、今は何もないんだし、そういう話がこのタイミングで舞い込んでくるのも何か縁があるのかもしれない。そう思った。

自宅に戻り、パソコンでその会社の事を調べてみた。
「株式会社ブライトリング」と検索すると、オシャレなホームページが目に飛び込んできた。結婚式だけでなく不動産やデザインや色んな部門を持ってる企業のようだ。

僕は早速鈴木さんから教えてもらったブライトリング代表の岩崎伸一に電話をかけ、3日後の午前10時でアポをとった。

ーーー 3日後。

その日は雪が降るんじゃないかと思うくらい寒い朝だった。僕は久しぶりにスーツを着てJR三ノ宮駅から北へ歩いていた。

北野阪をのぼり、北野通りを右へ。
いかにも安藤忠雄らしいコンクリート打ちっぱなしのオシャレな外観。そのビルの3階にブライトリングのオフィスがあった。

オフィスの奥から現れた岩崎伸一は黒のハイネックシャツにブラウンのジャケットで神戸らしいスキっとした印象。気さくで好青年という感じの人物だ。

(歳は僕と同じくらいかな・・)

早速そのビルの最上階へと案内された。
「ランブルーム」というその会場は、フローリングとコンクリートが融合したモダンでオシャレな空間。中央奥に大きな十字架があり、そこから扇状に椅子がセットされている。50名くらいは座れるだろうか。

僕は一瞬にして虜になった。
目の前の霧がパーッと晴れていくように感じた。

「鈴木さんから中道さんの話は伺ってます。今の中道さんの現状も聞きましたが、鈴木さんがOKという人に間違いはないので、中道さんさえよければこの物件どうでしょう?」

「それはありがとうございます。でも僕の口からも説明させて下さい」

僕はそう言って、これまでの全ての経緯を包み隠さず話をした。岩﨑伸一とはこれから先も長い付き合いになりそうな気がしたから、僕自身の悪い部分を含め正直に全てお話した。

「中道さんて、面白いね。なんでそんなに自分の悪いところばかり言うのよ(笑)」

岩﨑伸一はそう言ってにこやかに話を続けた。

「家賃は月40万。それはこのビルの大屋へ支払うものです。ただ今回の案件は当社ブライトリングからの委託になりますので、御社利益より当社に対してのギャランティも発生します」

「なるほど・・・。で、この場所で採算性はどれくらい見込めるの?」

「このすぐ近くに同業のチャペル結婚式の会場が数件あります。北野は激戦地ですからね。多い会場では年間2000組の結婚式を執り行っています。」

(2000組!へぇ・・・さすが神戸。姫路とは桁が違うなぁ)

「すごいですね。このあたりってそんなにあるんですね。でもこのランブルーム、すごくステキだから僕はぜひさせていただきたいと思うんですけど」

「いや、中道さんだから言うけど、北野はどこもこのレベルのオシャレ感はあるし、よそは披露宴会場もしっかり提携してるから簡単ではないですよ。ある意味広告合戦なので、どれくらい広告料を支払うかにかかってくるかもしれません。ホットペッパーに月100万くらいは必要になるかな」

(広告料に月100万。それでも勝てる保証はどこにもないって訳か・・・)

「わかりました。ちょっと考えさせてください。早いうちに連絡しますので」

「中道さん、今日はまだ時間ある?」

そう言うと、岩崎さん自ら北野の街を案内してくれる事になった。そして最後は岩崎さんが運営するフレンチレストランでランチ。何となく馬が合う人で、その後も色々話が尽きなかった。

僕はこの数時間で岩﨑さんに夢を与えてもらったような気持ちになり、これまでの塞ぎこんでた気持ちから少し開放されたように感じていた。

会食も終わり、そのレストランを出てJR三ノ宮駅へと帰路についていた時、電話がなった。電話の表示を見ると神戸でイベント会社を経営している春本香織だった。30代のやり手美人女性社長だ。

「中道さん!今、北野いるでしょ~!」

「いや、人違いじゃない?」

「またまた~。さっきね、うちのゆかりちゃんがブライトリングの岩崎さんと歩いてるところ見た!って」

「ほぉ~世間狭いね」

「今どこ?」

「北野坂下ってるとこ」

「じゃ、にしむら珈琲入ってて!」

そう言うやいなや、プツンと電話が切れた。

(あぁなんでまたこうなるのかな・・・。挫折真っ只中で心は謹慎中なんだけどなぁ)

春本香織に言われた通り、にしむら珈琲に入った。

彼女が到着するまで僕はさっきの岩崎さんのチャペル物件の事を延々シュミレーションしながら考えた。でもなかなか思考がその先へ進まない。

ぜひともチャレンジしたい物件ではあるんだけど、神戸北野という商圏を今ひとつ僕は理解していなくて、実はそこが一番の問題だった。

姫路ならば業界の敵味方、それからお客様の思考など、ある程度はよめる。僕はブライダルの仕事の前は百貨店で働いていたから、姫路の商圏の独特の匂いを肌で感じて育ってきた。それが僕の強みでもあった。

でも神戸となるとその肝心な鼻が利かないから、リスクがどれくらいあるのかが読み切れないのだ。そこが僕の思考を止めているところだった。

しばらくして、春本香織が店内に入ってきた。
真っ黒のパンツスーツに白いカットソー。ロングのブラウンヘアはポニーテールにまとめてスッキリとした印象。

(もともとケバイ子だったのに、会うたびまともになってるなぁ)

「もぉ!神戸来るんだったら連絡してよ!心配してたんだから」

(ん?心配?)

「香織ちゃんがなんで僕の心配するのよ」

「何言ってんのよ。なんでもすぐに情報ははいってくるの!」

「そうか。そんな情報網あることにビックリやわ」

「岩崎さんと会ってたって事はそろそろ動きだしたの?」

「いいや。まだ何も動き出してないよ。今日は岩崎さんとは初めて会ってね、岩崎さんとこの仕事を僕がやるかどうかっていう話で」

彼女は、ふぅ~と煙を吐いてから、ネイルの行き届いた爪先でメンソールのたばこを灰皿に押し付け、真面目な顔で僕を見た。

「一緒にやらない?」

いつもの彼女のその言葉に僕はいつものようにNOを言うと、彼女はいつものように微笑んだ。

「これから僕がひと旗あげたらね、一緒にやってあげてもいいよ(笑)」

そう言って僕も彼女にイタズラな微笑みを返す。

しばらく話をした後、僕はテーブルの隅に立てられたレシートを持って「お先に」と立ち上がった。レジへと向かう僕の背中越しに彼女が言った。

「そうそう!舞子のブランジェール、来月で店閉めるらしいわよ!」

懐かしい汐の香りが一瞬僕の前をよぎっていった。店内にはビートルズの「In My Life」が流れていた。

店の表にでて再び三ノ宮駅へと歩き出したけど、なんか心がすっきりしない。チャレンジするべきか、やめるべきか・・・、チャペル事業の事が僕の頭の中を支配していた。

仕方なく僕はもう一軒、カフェに入った。

一度頭の中を整理しようと思った。
僕は鞄の中から古い日記帳を取り出した。6年前の日記帳だ。僕が百貨店に辞表を出して退職した時の日記。今、ひょっとしたらあの頃と同じような気持ちなんじゃないだろうか・・・なんて思って鞄に入れて持ち歩いていたのだ。

その日記にはこう書いてあった。

『空を見上げる。
辛い事があると、まるで空をゴミ箱のように想いを投げ捨てる。
大きな空を見上げていると、すごく自分がちっぽけなように感じられて、さっきまでの自分が嘘のようにすっきりとした気持ちになっていく。

僕は空の向こうを見る。
するとそこにはさっき僕が投げ捨てた想いがまだ漂っている。

そうか・・・

この空はたぶん同じこの空につながってるんだ。
だから、未来も過去も、そしてはじまりも終わりも無いんだよな。

今を生きる。
大切なのは、そういうことなんだ。』

僕はこれを6年前の日記に書いた。
そして「そら」と名付けた息子は今年で6歳になる。

僕だけがまだ何も成長していないのかもしれない。
そう思った。

結局、網干駅についたのは午後7時。
僕は仕事の事、息子の事、ワイフの事・・・、色んな事を考えながら家路を急いだ。

あの角を曲がると、遠くに白い僕の家が見えてくる。

息子たちが「ママの家」と呼ぶ家だ。
さぁ、ママの待つ家へ帰ろう。