スウィートブライド代表中道亮物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2009年12月。

喫茶店の片隅で僕は震えていた。
そこは薄暗い照明にアンティークな家具が置かれた純喫茶アマンドの入り口奥にあるテーブル席。ここのところ辛くなるといつもここにいた。

もう何時間こうしてるだろう。
時折強く押し寄せる負の感情に、僕は押し潰されそうになっていた。

CDウォークマンにイヤホンを差し、フジコヘミングの演奏するドビュッシー「月の光」を延々リピートで聴いていた。

心がどうにかなりそうで、僕は必死にそれをおさえこむ。何かに恐れ、身をかがめ・・・。これは一種の発作のようなもので、この頃の僕は、時折こんな状態に陥った。

重度の精神患者のようだった。

そしてその度に僕を癒してくれたのは、フジコさんの演奏する月の光。そのピアノの音色はとても優しくあたたかく、いつも僕を包み込んでくれた。

今日も生死をさまよったそんな僕の心は、フジコさんのおかげで正常なところへとゆっくり戻っていく。

最近はその繰り返しだ。

2009年12月28日午前。

公証役場にて、今日正式に前会社と公的な書類を交わし、今回の一連の問題にようやくひとつの区切りがついた。

この4ヶ月で、僕の精神はボロボロになった。
生きているという実感がなく宙をさまよってる感じで、常に何かの影におびえながら商店街すら歩けないような・・・、そんな日々だった。

これまでの人生で、ここまで追い詰められたことはなかったんじゃないだろうか。

でも自分でまねいた結果だから、自分自身を責めるしかない訳で、常に自問自答を繰り返す日々。そんな中、世間では努めて明るくふるまうようにしていた。せめて人前だけでも元気でないと本当につぶれてしまいそうだったから。

ただ僕がこれから再スタートをきるためには、自分へのペナルティ、そして自己制裁を自分に対して厳しく課すべきで、僕は僕なりにその答えを導き出そうと必死につとめた。

弱いなぁ・・・と、改めて気付いた。

2009年12月28日午後。

そのひと区切りと同じこの日の午後、以前立ち上げた株式会社の最終の解散手続きに法務局を訪れた。

窓口には、七三分けの白髪で少し頬のこけた初老の男性がいた。一瞬、僕の事をぎょろりと見てからすぐに席へと誘導するような仕草をした。

(こういうとこって、やっぱ天下りとかそんな感じなのかな。もともとどこかの課のえらいさんとかなんだろうな。)

そんな事を思いながら、僕は席についた。
手短に事情を説明し、株式会社を解散する手続きに入った。株式会社を作る時は司法書士や何やらと色々話をして書類を作ってたいそうな感じだったけど、解散はあっさりしてる。

手続きが終盤に差し掛かった頃、その初老の担当者が突然こう切り出した。

「もったいないなぁ。定款変えたら使えるし、社名も変更できるし、解散せずに置いといた方がええで。また会社作ろう思たら手続きだけで何十万もかかるんやし・・・。」

僕は一瞬躊躇したが、明るくこう切り返す。

「いや、これまでの自分にケジメつけたいので解散するんや。この場におよんでそんな未練がましい事言わんといてよ。」

「ん・・・、そうかぁ?」

「そう!人生リスタートなんや!」

公的な役所なので淡々とした手続きで終わると思ってたから、まさか法務局でこんな会話のやりとりをするとは思ってもみなかった。

全ての手続きを終えて帰ろうと席をたったら、その初老の担当者が満面の笑みでこう言った。

「頑張りや!」

(嬉しい事言ってくれるなぁ。ええおっちゃんやな。)

「また復活して会社を作るときは、おっちゃんとこ来るから、その時は手続き費用まけてや!頼むで!」

僕はちょっと涙ぐんでそう言った。
何か吹っ切れたような気がした。

法務局を出て駐車場の車のところに来た僕は、何とも言えずあったかい気持ちになって、法務局のさっきいたビルの窓あたりに深々とおじぎをした。

いろんな意味で今日が再スタートとなった。

2009年12月29日。

昨日の再スタートから一夜あけて、今日は僕の誕生日。今年は辛い誕生日だろうなぁと思っていた。

ところが父、母、ワイフ、そして息子たちが僕の気持ちを察して、いつもより明るく振る舞ってくれるものだから、僕は申し訳ないという気持ちとありがたいという気持ちに包まれ、家族の存在に感謝した。

人生はいろいろあるけど、お金がすべてじゃないんだと改めて気づかされたんだ。

今年の誕生日の事、僕は一生忘れないだろう。

そして、生きよう、と強く思った。