スウィートブライド代表中道亮物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2011年7月。

僕は久しぶりに神戸の街を歩いている。

震災であれだけ壊れた街も、今では嘘のように昔の神戸のままのように思える。東北の街もいつか戻れますように・・・。

昔よく通ってた道を歩いていると懐かしいカフェの看板が目に入る。ウインドウ越しに見える白のパントンチェアが相変わらずいい感じだ。

姫路だとスタバ、ドトール等のチェーン店で290円ほどのコーヒーを飲む事に慣れちゃってるけど、神戸に来ると400円だしても素敵なカフェで・・・なんて思ってしまうもので不思議な街である。

僕はジャズカフェBLUEに入った。
オードリーウェディングを辞めた直後、海原さんとここで話をしてからもう2年が経つ。飾り気のない店内だけど、そこにはいい音のジャズが流れていて、僕はいつもの大きなJBLのスピーカーの真横を陣取った。

昔ながらのサイフォンコーヒーを飲みながら、季刊誌「ジャズ批評」を読む。どっぷりと神戸ジャズの空気に浸れる優しい時間だ。

しばらくすると、カンカンと甲高いヒールの音。
オフショルダーの黄色のトップスにデニム姿の春本香織が現れた。彼女と会うのも半年ぶりくらいだ。

「そのヒール、カンカンうるさい。ここジャズ喫茶。わかってる?」

はいはい、と一瞬ふてくされたような顔をするも、すぐにいつもの笑顔に戻り、席についた。

「結局、岩崎さんとこの話、断わったんでしょ?この前恩田さんから聞いたよ。これからどうするの?もう神戸にはでてこないの?」

「うん・・・。一歩踏み出す勇気が持てなくてね。まぁしばらくは姫路で次の生き方を考えるよ。」

「そうかぁ。中道さんは大丈夫だよ!きっとうまくいく。私が保証するよ」

「香織ちゃんには感謝してる。お客様も紹介してくれて。それで何とか食っていけてるからね。本当にありがとう。」

このお礼がひとこと言いたくて、今日は彼女を呼び出したようなものだった。彼女へのお礼をする事で僕の中で神戸の夢に区切りをつけたかったのかもしれない。

春本香織が店を出てからも、僕はしばらくBLUEで時間を過ごした。店内にはウォルタービショップJRの「スピークロウ」が流れていた。

(これでもうしばらく神戸に来ることもないんだろうな・・)

そんな風に思うと、少しせつなくなる。でも僕は今を生きる事にまだ精一杯で、先の事なんて何も見えやしなかった。

その日の夜。
仕事部屋でデザイン作業しているとASAMIという女性からメールが届いた。

『RYOさん、はじまして。突然のメールで失礼します。RYOさんのブログを読ませていただきました。内容はもちろん、文体が私とよく似ててすごく共感しました!私は東京在住で小説を執筆したり、ウェブの仕事をしたり、料理研究の仕事をしたり・・・・以下略』

早速、ASAMIさんのブログを拝読。
確かに僕が書いたのかと思うくらい書き味がそっくりな事に驚いた。すぐに返信をする。

『RYOです。メールありがとうございます。文体、ほんとによく似てますね。読ませていただいてびっくりしました・・・以下略』

この後しばらくメールのやりとりが続いた。ASAMIさんも昔は会社経営をしてたけど色々あって今はフリーランスで活動しているというようなお互いの話から、今の悩みごとや夢など色んな事を語り合った。

ASAMIさんとは電話で直接話をする事はなかったけれど、お互いブログで自分の顔は公表しているし、同じような人生の悩みに共感するところもあり、同志というか良き話し相手のような感じでこの後もメールのやりとりが続いていった。

2011年8月。

プチウェディングでギフトの打合せをしていた時にどうしても取り扱いをしたいブランドがあり、以前オードリーウェディング時代に少し取引をした事がある高畑泰司さんと久しぶりに会う事になった。

彼の地元の加古川のカフェで待ち合わせをした。
高畑さんと会うのは3年ぶりくらい。不動産業が本職で僕より10ほど年上でかっぷくがよく、赤ら顔で元気のいいおじさまだ。メルセデスのゲレンデに乗っていて羽振りの良い印象がある。

会って早速にこちらが希望しているギフトのブランド取り扱いの件を相談し、その後ゆっくりと近況報告等の雑談をしていた。

「中道さん、これからどうするの?もう自分でブライダルはしないの?」

「今はプチウェディングの神谷さんとこでコンサルみたいな形でお世話にはなってるんですけど、いつまでも神谷さんにお世話になる訳にはいかないので来年くらいから何かしなきゃいけないとは真剣に思ってるんです。でもそれがブライダルになるのかはまだちょっと・・・。」

「それはもったいない。中道さんはブライダルするべきだと思うけどなぁ。これまで僕も色んなブライダル関係の人とお付き合いしてきたけど、皆ビジネス的なのに、中道さんは人情味があるというか、仕事に対する向き合い方がいいなぁと思って見てましたよ。中道さんから受ける仕事はやりやすかったし。」

「そんな事言っていただけると嬉しいです。ただ何をやるにもお金がいるし、今の僕はまだ借金がある状態だし、実際のところ日々の飯食っていく事で精一杯で・・・」

その日はそんな会話をして、高畑さんと別れた。

(もっとちゃんと自分と向き合って考えなきゃいけないなぁ・・)

最近は誰かと会う度、色々考え込む。

人は自分自身を変える事はとても難しい事だけど、生き方やプロセスというものはいかようにも創り上げる事ができるはずだ。そのためには自分自身をフラットに置くことが大切で、そこに向き合う時間が必要だ。

その時間は時にとてつもなく寂しい時間にもなる訳だけど、そんな時、人はあれこれと自分のことを考えるんだと思う。

僕は、今がまさにそんな時。

右にも左にも寄りすぎず、また上にも下にも行かず、フラットな状態に自分を置くことは今の僕には気負いが無く自然でとても心地がいい。その状態に自分を置くと「人生ってそんなに悲観するものでもないんじゃないか」なんて思うようにもなってくる。

まだ自分には自分の知らない自分が存在するはずで、いつの日かそんな自分に出会えるのも人生の愉しみのひとつ。そんな風にも思うんだ。

2011年9月1日。

今日は次男の5歳の誕生日。
祖父母も集まり、10日前に7歳になった長男とのダブル誕生日会をした。息子二人からはDSの高いゲーム機をねだられ、祖父母だけに頼る訳にもいかず、お互いにお金を出し合って買ってあげる事にした。

その夜、次男が先に寝てしまったので長男と二人でお風呂に入った。

「パパ、また結婚式のお仕事するの?」

突然の息子からの質問。

(何かこの子なりに思う事があるんだろうか・・)

一瞬、驚きというか戸惑いを感じながら僕は答えた。

「いや、まだ何も決めてないよ。ただ、今のパパには何も誇れるものはないんだけどね、もう一度ちゃんとした会社を作って人さまの為になるような仕事をしたいと思ってるよ」

7歳の子には難しいかなと思いながらも、僕は息子の目を見て正直に自分の今の気持ちを言葉にして答えた。

「パパは今はプラプラ遊びすぎやから、ちゃんと働いてね!」

(ハハ・・・。そういう事か。DS買うお金でこの子たちの前でもめてたもんな)

「わかった。頑張るわ!」

そんな息子との会話だったけど、「こうなりゃこの子のためにもう一度最前線で頑張らなきゃ!」って、真剣に思ってしまった。息子の頼みは絶大なのである。

僕が子供時代、父親は立派な人だと思っていた。他人に流されないと言うか、信念をもって自営業をされてるように見えていた。
今でもそういう父親を尊敬しているけど、僕自身も自分の息子にそんな風に思ってもらいたいという願望がどこかにあるのかもしれないな。

僕はこれまでの人生、人さまに迷惑ばかりかけて生きてきたから、今からはビジネスを通じて人さまに喜ばれる事をしていきたい。

そう強く思った。

それが、息子との約束だから。