ページが見つかりませんでした – 姫路結婚式.com https://himeji-wedding.com 姫路市を中心とした播磨地域の結婚式場、神社での神前挙式、寺院での仏前式、教会での教会式、レストランでの人前式をプロデュースします。結婚式場後の披露宴からお食事会までトータルでサポート。円教寺、姫路神社、五軒邸教会など姫路らしい本格的な結婚式なら。 Wed, 17 Jan 2024 04:06:38 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.3.17 2024年はもっと自由な結婚式を。 https://himeji-wedding.com/staffblog/9898/ Thu, 04 Jan 2024 02:56:42 +0000 https://himeji-wedding.com/?p=9898

こんにちは。
姫路のブライダルプロデュース会社スウィートブライド代表でウェディングプランナーの中道亮です。ここでは僕のプランナーとしての想いを綴っています。

明けましておめでとうございます。

ブライダルの仕事を志して25年。
自分なりの想いでここまでやってきました。

最大の出来事はコロナです。
全てが無くなってしまった気がしました。

そしてやっとコロナが明けたと思ったら
2019年までとは違った結婚式に変化しています。

業界も戸惑っていますが、
新郎新婦様も迷われていることでしょう。

こんな時こそ、僕のようなフリーランスプランナーが
柔軟に時代の要望を汲み取っていかなきゃいけないのだけど。

僕は”アンチ式場”でブライダルを捉えてきました。
それが自分の基軸となりここまでやってこれたと思います。

まだまだ自由で新しいブライダルはあるはず。
今の時代の新郎新婦様やご家族に支持されるような。

既存や常識をぶっ壊さなきゃいけませんね。

2024年は
チャレンジの一年にしていこうと思います。

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姫路神社の結婚式は素敵な1日でした https://himeji-wedding.com/staffblog/9894/ Sun, 17 Dec 2023 05:22:45 +0000 https://himeji-wedding.com/?p=9894

姫路神社での結婚式。
12月中旬とは思えない暖かい1日でした。

神様ありがとう!
晴れて欲しいというお2人の願いを叶えてくれて。

そろそろ新婦様が仕上がるという頃、
職場の先生と園児がサプライズでお祝いに来てくれました。

20人くらいいたかな。

するとその光景を見ていた姫路神社の宮司から
子供達へ風船のプレゼント。

わぁ、みんなあったかい。

結婚式は形式じゃないんだな。
今さらだけど改めてそう思いました。

人の熱が幸せな1日を演出します。

そんな姫路神社の結婚式。
もっと色んな新郎新婦様に届けたいな。

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明日はレストランウェディング https://himeji-wedding.com/staffblog/9882/ Fri, 03 Nov 2023 09:18:46 +0000 https://himeji-wedding.com/?p=9882

レストランウェディングの準備。

少し遠方の新郎新婦様。
だから準備だけでも大変です。

今は新婦様とお話しながら準備しているところ。

ゆったりと流れる時間の中、
僕自身も心を整えていきます。

お2人と出会ったのは6月だったかな。
かなり暑い日でした。

まるで昨日のことのよう。

その時の想いを今一度振り返って
明日に向かおうと思います。

ステキな1日になりますように。

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プランナー中道亮について https://himeji-wedding.com/staffblog/9874/ Thu, 02 Nov 2023 05:35:29 +0000 https://himeji-wedding.com/?p=9874

スウィートブライドというプロデュース会社は、良くも悪くも中道亮が中心の会社です。
全ての新郎新婦様は、まず僕と出会い、そして僕と準備をして、僕と当日を迎えます。

僕は、お2人と向き合うというタイプではありません。
一緒にその方向を向いて進んでいくタイプ。

例えば新婦様が「ここのドレス嫌!」と言うと、いくら当社の提携ドレスショップであったとしても、「わかった。じゃ別のドレスショップあたろうか」と、なるタイプ。

で、隠し事はイヤだから、社内の内情から僕とその業者の付き合い方など、本来お客様に言う事ではないような本音トークも多い。
ビジネス的にお2人を誘導したくない、という気持ちがたぶん強いんだと思います。

お2人とはもちろんこの結婚式をプロデュースするという事でお付き合いが始まっていますが、僕にとってお2人は永遠の友達というか、仲間というか、ファミリーというか、そんな気持ちなので、結婚式の後もずーっとお付き合いが続く訳です。

変な隠し事やビジネス接客をしていると、絶対にその先が続かないんですよね。

2019年は、これまでの新郎新婦様やご親族の方々からのクチコミ紹介が80%もありました。
僕にとっては本当に嬉しくてありがたい事。

それこそが、ウェディングプランナーという仕事の本質かなぁと思っています。

だから僕はこの仕事をいつまでも続けなきゃいけない。
お2人が結婚生活で悩んだり迷ったりした時、僕のところがお2人の初心に返る場所だと思ってるから。

それは僕が最も強く思ってる事です。

今の時代は仲人や媒酌人というものがありません。
20代の若いウェディングプランナーさんはひょっとしたら仲人の存在すら知らないかもしれないけど。

でもなぜ昔は仲人や媒酌人がいたのでしょう?

それを考えた時に、今僕がしているようなプロデュースのカタチというのは、まさに仲人だと思います。
ホテルや式場にいるプランナーさんは演出やプランを常に考えているだろうけど、僕は全く逆で、ご両家の気持ちを常に考えています。

これから式場探しをするお2人がもしこのコラムを見て、僕のようなプランナーがいいなと思ってくれたら、ぜひ来てください。

そして、僕たちのプロデュースを目いっぱい楽しんでください。

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第20話 息子との約束 https://himeji-wedding.com/novel/9871/ Thu, 02 Nov 2023 05:21:26 +0000 https://himeji-wedding.com/?p=9871
スウィートブライド代表中道亮物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2011年7月。

僕は久しぶりに神戸の街を歩いている。

震災であれだけ壊れた街も、今では嘘のように昔の神戸のままのように思える。東北の街もいつか戻れますように・・・。

昔よく通ってた道を歩いていると懐かしいカフェの看板が目に入る。ウインドウ越しに見える白のパントンチェアが相変わらずいい感じだ。

姫路だとスタバ、ドトール等のチェーン店で290円ほどのコーヒーを飲む事に慣れちゃってるけど、神戸に来ると400円だしても素敵なカフェで・・・なんて思ってしまうもので不思議な街である。

僕はジャズカフェBLUEに入った。
オードリーウェディングを辞めた直後、海原さんとここで話をしてからもう2年が経つ。飾り気のない店内だけど、そこにはいい音のジャズが流れていて、僕はいつもの大きなJBLのスピーカーの真横を陣取った。

昔ながらのサイフォンコーヒーを飲みながら、季刊誌「ジャズ批評」を読む。どっぷりと神戸ジャズの空気に浸れる優しい時間だ。

しばらくすると、カンカンと甲高いヒールの音。
オフショルダーの黄色のトップスにデニム姿の春本香織が現れた。彼女と会うのも半年ぶりくらいだ。

「そのヒール、カンカンうるさい。ここジャズ喫茶。わかってる?」

はいはい、と一瞬ふてくされたような顔をするも、すぐにいつもの笑顔に戻り、席についた。

「結局、岩崎さんとこの話、断わったんでしょ?この前恩田さんから聞いたよ。これからどうするの?もう神戸にはでてこないの?」

「うん・・・。一歩踏み出す勇気が持てなくてね。まぁしばらくは姫路で次の生き方を考えるよ。」

「そうかぁ。中道さんは大丈夫だよ!きっとうまくいく。私が保証するよ」

「香織ちゃんには感謝してる。お客様も紹介してくれて。それで何とか食っていけてるからね。本当にありがとう。」

このお礼がひとこと言いたくて、今日は彼女を呼び出したようなものだった。彼女へのお礼をする事で僕の中で神戸の夢に区切りをつけたかったのかもしれない。

春本香織が店を出てからも、僕はしばらくBLUEで時間を過ごした。店内にはウォルタービショップJRの「スピークロウ」が流れていた。

(これでもうしばらく神戸に来ることもないんだろうな・・)

そんな風に思うと、少しせつなくなる。でも僕は今を生きる事にまだ精一杯で、先の事なんて何も見えやしなかった。

その日の夜。
仕事部屋でデザイン作業しているとASAMIという女性からメールが届いた。

『RYOさん、はじまして。突然のメールで失礼します。RYOさんのブログを読ませていただきました。内容はもちろん、文体が私とよく似ててすごく共感しました!私は東京在住で小説を執筆したり、ウェブの仕事をしたり、料理研究の仕事をしたり・・・・以下略』

早速、ASAMIさんのブログを拝読。
確かに僕が書いたのかと思うくらい書き味がそっくりな事に驚いた。すぐに返信をする。

『RYOです。メールありがとうございます。文体、ほんとによく似てますね。読ませていただいてびっくりしました・・・以下略』

この後しばらくメールのやりとりが続いた。ASAMIさんも昔は会社経営をしてたけど色々あって今はフリーランスで活動しているというようなお互いの話から、今の悩みごとや夢など色んな事を語り合った。

ASAMIさんとは電話で直接話をする事はなかったけれど、お互いブログで自分の顔は公表しているし、同じような人生の悩みに共感するところもあり、同志というか良き話し相手のような感じでこの後もメールのやりとりが続いていった。

2011年8月。

プチウェディングでギフトの打合せをしていた時にどうしても取り扱いをしたいブランドがあり、以前オードリーウェディング時代に少し取引をした事がある高畑泰司さんと久しぶりに会う事になった。

彼の地元の加古川のカフェで待ち合わせをした。
高畑さんと会うのは3年ぶりくらい。不動産業が本職で僕より10ほど年上でかっぷくがよく、赤ら顔で元気のいいおじさまだ。メルセデスのゲレンデに乗っていて羽振りの良い印象がある。

会って早速にこちらが希望しているギフトのブランド取り扱いの件を相談し、その後ゆっくりと近況報告等の雑談をしていた。

「中道さん、これからどうするの?もう自分でブライダルはしないの?」

「今はプチウェディングの神谷さんとこでコンサルみたいな形でお世話にはなってるんですけど、いつまでも神谷さんにお世話になる訳にはいかないので来年くらいから何かしなきゃいけないとは真剣に思ってるんです。でもそれがブライダルになるのかはまだちょっと・・・。」

「それはもったいない。中道さんはブライダルするべきだと思うけどなぁ。これまで僕も色んなブライダル関係の人とお付き合いしてきたけど、皆ビジネス的なのに、中道さんは人情味があるというか、仕事に対する向き合い方がいいなぁと思って見てましたよ。中道さんから受ける仕事はやりやすかったし。」

「そんな事言っていただけると嬉しいです。ただ何をやるにもお金がいるし、今の僕はまだ借金がある状態だし、実際のところ日々の飯食っていく事で精一杯で・・・」

その日はそんな会話をして、高畑さんと別れた。

(もっとちゃんと自分と向き合って考えなきゃいけないなぁ・・)

最近は誰かと会う度、色々考え込む。

人は自分自身を変える事はとても難しい事だけど、生き方やプロセスというものはいかようにも創り上げる事ができるはずだ。そのためには自分自身をフラットに置くことが大切で、そこに向き合う時間が必要だ。

その時間は時にとてつもなく寂しい時間にもなる訳だけど、そんな時、人はあれこれと自分のことを考えるんだと思う。

僕は、今がまさにそんな時。

右にも左にも寄りすぎず、また上にも下にも行かず、フラットな状態に自分を置くことは今の僕には気負いが無く自然でとても心地がいい。その状態に自分を置くと「人生ってそんなに悲観するものでもないんじゃないか」なんて思うようにもなってくる。

まだ自分には自分の知らない自分が存在するはずで、いつの日かそんな自分に出会えるのも人生の愉しみのひとつ。そんな風にも思うんだ。

2011年9月1日。

今日は次男の5歳の誕生日。
祖父母も集まり、10日前に7歳になった長男とのダブル誕生日会をした。息子二人からはDSの高いゲーム機をねだられ、祖父母だけに頼る訳にもいかず、お互いにお金を出し合って買ってあげる事にした。

その夜、次男が先に寝てしまったので長男と二人でお風呂に入った。

「パパ、また結婚式のお仕事するの?」

突然の息子からの質問。

(何かこの子なりに思う事があるんだろうか・・)

一瞬、驚きというか戸惑いを感じながら僕は答えた。

「いや、まだ何も決めてないよ。ただ、今のパパには何も誇れるものはないんだけどね、もう一度ちゃんとした会社を作って人さまの為になるような仕事をしたいと思ってるよ」

7歳の子には難しいかなと思いながらも、僕は息子の目を見て正直に自分の今の気持ちを言葉にして答えた。

「パパは今はプラプラ遊びすぎやから、ちゃんと働いてね!」

(ハハ・・・。そういう事か。DS買うお金でこの子たちの前でもめてたもんな)

「わかった。頑張るわ!」

そんな息子との会話だったけど、「こうなりゃこの子のためにもう一度最前線で頑張らなきゃ!」って、真剣に思ってしまった。息子の頼みは絶大なのである。

僕が子供時代、父親は立派な人だと思っていた。他人に流されないと言うか、信念をもって自営業をされてるように見えていた。
今でもそういう父親を尊敬しているけど、僕自身も自分の息子にそんな風に思ってもらいたいという願望がどこかにあるのかもしれないな。

僕はこれまでの人生、人さまに迷惑ばかりかけて生きてきたから、今からはビジネスを通じて人さまに喜ばれる事をしていきたい。

そう強く思った。

それが、息子との約束だから。

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第19話 下り坂の美学 https://himeji-wedding.com/novel/9869/ Thu, 02 Nov 2023 05:20:46 +0000 https://himeji-wedding.com/?p=9869
スウィートブライド代表中道亮物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2011年1月。

「パパの夢って何?」

6歳の長男からそう言われて、僕は少し困惑した。

少し前までは僕は数えきれないほどの夢を持っていた。でも挫折を境にして僕の中で夢というものは消滅してしまい、今はスッと出てこない。

今は、僕の周囲にいる人たちが少しでも幸せになってくれれば、それが一番いいと、ただそれだけを思うようになっている。

ワイフ、息子、親、親戚、仕事のパートナー・・・。

それが夢と言えるかどうかはわからないけど、少なくとも今僕が感じている幸せというものは壊したくなくて。お金持ちにはならなくてもいいから、今のこの小さな幸せを守っていきたい。

ワイフの笑顔、息子の笑顔、親の笑顔がいつまでも続くように。

それが今の僕の夢のかたちなのかもしれない。
永遠なんて無いことはよくわかっている。いつも笑顔でいられなくて、辛いことが多いこともわかっている。そして未来、いや1年先のことですらどうなるかなんてわからない。

だから今この時が大切なんだと思う。
今を充実して大切に過ごせれば、きっと未来はそこにつながっていくはずだから。

「そうだなぁ・・・、ママやお前たちが幸せになる事かな」

2011年2月。

ホテルの深夜バイトが無い日は、徹夜でデザインの仕事をする事が多い。身体はもうすでに疲弊しているはずなのに、生活のリズムというのは恐ろしいもので、ついつい夜中は目がさえて仕事をしてしまう。

東側の出窓のカーテンを開けると強烈な朝陽が差し込んできた。僕は椅子の背もたれに背中を預け、大きく伸びをする。部屋にはリーモーガンの爽やかなトランペットが心地よくながれていた。

気分いいな。
このまま時間がとまってしまえばいいのに。

今デザインワークをしているのは姫路のエステサロンのホームページ。施術風景を撮影した透き通るようなモデル女性の画像の背景にとびっきりのブルーを入れてみる。

何かSHISEIDOの夏のCMのようなデザインになっちゃったかな・・・

トップイメージ画像の下に細かなグラデーションを入れたり、ラインを引いたり、地道な作業を繰り返しながら、自分の思うイメージに創り上げていく。
女性向けのキレイなデザインは作っていて気持ちがいいから好きだ。

昨年暮れあたりからブライダルの仕事は影を潜めウェブデザイナーが本職のようになってきている。

ウェブデザイナーという仕事は、これまで僕の生活を支えてくれた大切な仕事だ。この仕事がなかったら、おそらく僕は何度も路頭に迷ってただろう。

ただ、僕にとってのウェブデザイナーという仕事は苦しみの連続でもある。

常に白紙のキャンパスに形を創り色をつけていく。でもアーティスト(芸術家)ではないから自分の想いではなく、クライアント様の想いをデザインとして表現できなくてはいけない。

たった一本のラインをひくまでに僕はいつも白紙のキャンパスと長時間にわたりにらめっこをする。

クライアント様の意向をどう反映さえればいいのか。
そのサイトを閲覧する顧客にどう魅せればいいのか。

いつも葛藤と苦しみの中でもがいている。

デザインは感性だという人もいるけど、僕はそうは思わない。あくまでも理論に裏付けされた方程式がデザインにはあって、そこにそれぞれのクライアント様の個性を注入していく。

しかしそれが難しい。
ただアートなものを作る方が実は簡単なのかもしれないと思う時もある。

ホームページはビジネスのために存在するもので、そのクライアント様が繁盛しなければ僕たちウェブデザイナーの存在意義はない。

だからこそ、そこに学びがある。

これまでにあらゆる業種のデザインをさせていただいた経験と知識は、僕の中に方程式として蓄積されているはずだ。

しかし蓄積したとしても知識と経験だけで太刀打ちできないのがウェブの世界でもある。恐るべきスピードで進化している脅威の世界だ。僕が進化を拒めば、そこで全てはストップしてしまう。

ブライダルプロデューサーはチームワークが大切だけど、ウェブデザイナーはとことんまで孤独な戦いだ。この相反する二つの事業の上をバランスをとりながら歩いているのが、今の僕の状況である。

飽き性の僕には、かっこうの状況といえるのかもしれないけれど。

そんな辛く苦しいデザイン仕事も唯一楽しいと思える瞬間がある。それは、デザインが出来あがった時。一枚の絵画が完成するのと同じような達成感と喜びがあるものだ。

それがあるからやめられないというのがこの仕事かもしれない。

2011年3月11日。

宮城北部地震の報道番組をただ茫然と見ている。

まったく仕事に身が入らない。
今、午後7時45分。姫路の方にも津波がくると言われている時間。神戸の大震災の時も、後から事態の大きさがあらわになった。今回も速報が入るたびに死者の数が増えている。

少しでも被害が少なく終焉してほしいと思う。

2011年3月13日。

今日も朝から震災の報道を見ながら心が痛む。まだこれからマグニチュード7規模の地震の可能性があるという。

何とかとめられないものなのか・・・。
人間なんてこうも無力なものなのか・・・。

そんな中、昨日はプチウェディングプロデュースの結婚式があった。
日本がこんなに大変な時なんだけど僕の仕事は幸せを創る事だから、お2人にとって素晴らしい一日にしてあげようと必死で務めた。

人の願いはただひとつ。

幸せになることだ。

2011年3月17日。

「お散歩に行こうよ」
4歳の次男がせがんできた。

6歳の長男は幼稚園、ワイフは別の用事で出かけている。僕は家でいつものようにウェブデザインの仕事をしている。

4歳の次男が一人、おひまな訳だ。

僕も忙しいんだけど、仕方なく仕事の手をとめ散歩に行くことにした。次男の言う「お散歩」とは自転車の二人乗りをしてイオンに行く事。

僕の自転車は子供が乗るためのシートをつけてないので、落ちないように僕の腰をつかんで必死にしがみついている。
途中結構な段差があり、「大丈夫か?」って聞くと「全然平気やで!!」と元気な声が背後からかえってくる。余程楽しいのか、常に大きな声で歌を歌いながらしがみついている。

家を出て10分ほどでイオンに到着。
着くやいなやゲームセンターに一直線。ゲームを楽しんだ後はフードコートで休憩。節約中だから家から持参してきたジュースとコアラのマーチで。

「パパ、きちゃない格好やな。恥ずかしいで。」

家着のままで出てきた僕にそんな事を言う。子供は正直だ。
1時間くらいイオンにいて、また自転車で帰宅。「すんごい楽しかった!」と言って、こたつにもぐってすぐにDSを始める次男。まぁ何とも変わり身が早いものである。

僕もすぐにデザインの仕事にとりかかる。

世の中はまだ東日本大震災で重苦しい空気の中、我が家は日常の時間が流れているようだ。

2011年3月25日。

今日は長男の幼稚園の卒園式だ。
会場内には花道があったり可愛いアーチがあったり、初めての体験だから見るものひとつひとつがとても新鮮。

AKB48の曲が流れ園児たち48人が入場してきた。もうすでに会場内は涙腺が崩壊寸前の空気感だ。

いよいよ授与がはじまる。
園児たちは一人一人名前を呼ばれ、園長先生から赤い大きな修了証書をいただく。修了証書をもらった園児は花道を歩いていく。その先には花のアーチがあり、そこに自分のママが待っているんだ。

ママの前まで進んできた園児は「毎日お弁当作ってくれてありがとう!」とか、「毎朝起こしてくれてありがとう!」と言って、ママに修了証書を渡す。

これで泣かないママはいない。

幼稚園はママにとって送り迎えの毎日だから、ママ自身も2年間幼稚園に通ってきたようなもの。だからこれはママの卒園式でもある訳で、色んな感情が去来していることだろう。

僕たちパパ軍団も皆ビデオを握りしめながら泣いている。この日ばかりは、話したことがないパパたちとも友達のような一体感が生まれるものだ。

約1時間、会場は涙に包まれていた。とても素敵な時間だった。

2011年4月。

今日もいつもと変わらない日常の中にいる。
ホテルの深夜バイトから帰宅した僕は、いつものように晩ご飯のような朝ご飯を食べ、2階の仕事部屋でウェブデザインの仕事の態勢に入る。

このごろよく考えるのは、「仕事」について。

まだこの先どうしていけばいいのか迷いながら生きているというのが正直なところだ。
僕は今、ビジネスの最前線で息を切らして走っていた頃と違い、ゆったりとしたルーティン的なライフスタイルの中で仕事をしている。

そこで見えてきたものがある。
それは、常に謙虚な気持ちを持ち続ける事。

これは常に緊張感を維持するという事であり、何かを自分自身に課すことが重要だ。僕にとって「仕事」というもののがまさにそういう事であり、「仕事」が自分自身を律する唯一の存在だと考えている。

生きる目的が「仕事」ではないけれど、「仕事」が自分の信念や自分の想いを投影するものであるという事だ。

僕にとって「仕事」は、常に前進し向上していくための大切なツール。でも前進していくと辛さや苦しみが襲ってくる。だからと言って、その辛さや苦しみから逃れるように向上するのをやめた時、そこに緊張感はなくなり、人は慢心に陥るのだと思う。

人生に謙虚でありたいと願うからこそ、僕は「仕事」に対して妥協をしたくないと思うんだ。
これから先、僕はどんな仕事をしていくのかはわからい。ただ自分の信じる道を歩いていく事ができたなら、それは最高に幸せな事ではないかと思うのである。

2011年4月8日。

先日卒園式をしたばかりの長男。今日は小学校の入学式だ。

1年4組出席番号11番。
教室に入ると、中央の一番前の席。先生の目の前だ。

「奏楽(そら)、11番ってキングカズの背番号やな!」

「パパ、キングカズって?」

「この前東日本大震災の黄色いユニフォーム着て、点いれて踊ってた人」

「あぁ!!あのパパが応援してた人か!!」

「そうそう。あのカズの背番号が11番。だから特別な番号なんだよ」

「そうか!ぼくの出席番号はカズなんやな!」

そんなやりとりをしながら、教室から体育館へ移動する。

そして大きな体育館で厳かな入学式。
つい先日までの可愛らしい幼稚園とは大違いで、大人な感じだ。

これからは子供達だけの世界が広がっていくんだろうな。僕は息子の背中を見ながら、エールを送った。

毎日を楽しく奏でられますように。
たくさんの夢が叶いますように。

そして強い子になりますように。

2011年5月17日。

ホテルの深夜バイトから帰宅した僕は、長男と二人で約束していたサイクリングに出かけた。

まだ補助輪がとれたばかりの息子に交通ルールを教えながら、ゆっくりゆっくりと。僕は後ろから、時に横にと、息子をガードしながら走る。

走りながら二人でいろんな会話をする。
昨日小学校で初めての席替えがあった事、そして友達が斜め後ろの席だった事、来週の剣道の出稽古の事、そして来週のそろばんの検定試験の事・・・。

家から南に向かうと、すぐ海にでる。
汐の香りを肌で感じながら、もう夏がそこまで来ていることを知る。息子も僕と同じで海が大好きなんだ。

道中、ちょっとしたベンチがあると二人で座って休憩する。アクエリアスが入った水筒を二人で回し飲み。

「パパ、今日はいっぱいいっぱい走ったね」と、得意顔の息子。浜辺でゆっくりした後、家へと向かう頃にはすでに陽がおちかけていた。

「パパ、すごくキレイな夕陽だね」

6歳の子がそんな情緒のあることを言うから、変におかしい。でもそんな息子と二人で見る夕陽はそれはそれは特別なもので・・・。

2011年6月。

春が過ぎ、夏が来ようとしていた。
僕はまだまだ、つまずきながら歩んでいる。

そのつまずきの一つ一つが僕に知識と経験を与え、そしてそれは血となり肉となり体内に又、脳内に吸収されていっているようだ。

自分自身で経験して得ていくものは、少しの自信へとつながっていく。

この自信は決して自己啓発本や有識者の意見から得られるものではない。自分で考え自分で解決するという事からのみ得られるものだ。
子育てにしてもそう、恋愛にしてもそう。何かの受け売りだけでは、本質を見失う。

僕は男親として息子に何が残せるか・・・。

そう考えた時、それは自分自身が歯を食いしばってつかんだものを自分の言葉で教えていくしかないんだと。

もちろん自己啓発本が悪い訳ではない。

しかし、何かに頼れば全てが他の誰かの言うとおりにしかできなくなる。常に模範解答をあおぎながらでないと生きていけなくなってしまうのは、悲しいと思うんだ。

だからやっぱり自ら冒険し、自ら苦しみを受け入れ、自分らしい答えを探していかなければいけないんだと思う。

それが人生勉強であり、人生勉強の必要性なのだろう。

『人生は下り坂に美学がある。』

あるテレビ番組で火野正平さんが言っていた。

僕はこの言葉にとても共感した。人生は、上り坂もあれば下り坂もある。その高低差は人によって大小の違いこそあれ、必ず上りがあれば下りがあるものだ。

そして下り坂の時に、僕たちは弱気になり人に感謝の念を持つようになる。ひょっとしたら本当の愛の形もそういう時にこそ見えるものなのかもしれない。

人は失敗をすることで、学び、成長する。
そしてそれを糧に、再び上り坂へと歩を進めていく訳だ。そう思うと、下り坂こそ人生で最も清らかな時期なのかもしれない。そして、最も人を尊び、学ぶ心を持つ時なのかもしれない。

僕が今回学んだもの。
それは、下り坂は愛を再確認するところだという事。

ワイフとの愛、子供との愛、そして親との愛・・・。

次に僕が始める仕事はそういう愛に包まれたものでありたいと、この頃強く思うようになっていた。

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第18話 夢の終わり https://himeji-wedding.com/novel/9867/ Thu, 02 Nov 2023 05:19:59 +0000 https://himeji-wedding.com/?p=9867
スウィートブライド代表中道亮物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2010年12月。

朝から大粒の雨がおちている。

僕は今日もリビングでデザイン作業をしている。ふと見上げると、部屋干しされている息子の剣道着が目についた。

(まだちっちゃいのに、よく頑張るもんだ)

僕が幼稚園児の頃って、どうだったろう。
記憶の中では、友達とライダーごっこしたり怪獣の人形で遊んだり・・・。せいぜいそんなところだ。

そう思うと、息子はすごいなぁと改めて感心する。

(あ、そうか。ワイフの血も流れてるんだった)

そんな息子の剣道着を見ていると、力がわいてくる。

(こんな雨の日に、じめじめ考えてちゃいけないな。パパはこの子のために頑張らなきゃいけないんだ!)

その夜、長男がウイスキーを持ってきた。

「はい、パパ。ウイスキー飲むんでしょ」

息子2人と男3人でこたつにはいる。
6才の長男はドラゴンボールのカードを広げて整理中。4歳の次男はポケモンの人形をいっぱい並べ始めた。僕はそんな2人の行動を見ながらソーセージとチーズをあてにサントリーオールドを一杯。

息子たちの言葉に合ずちをうちながら飲むオールドは格別だ。

(ずっとずっと先の話だけど、息子たちが成人して一緒にウイスキーを飲めればもっと最高だろうな)

『ピピ・・、ピピ・・、お湯がはいりました』
機械的なアナウンスが部屋中に響く。

さぁ今夜は息子と3人でゆっくりと男風呂を満喫だ。

次の日の朝、僕はJRで東へと向かっていた。

須磨のあたりにさしかかると神戸の匂いが漂ってくるからイヤホンのBGMを小曽根真さんに切り替える。

(小曽根さんと神戸って本当にマッチするな)

ほどなく芦屋に着き、川沿いの道を北へあがる。
恩田さんのエステサロンに来るのは春先にホームページの納品をして以来。新しいスタッフが入ったと連絡があったので、スタッフ写真の撮影を兼ねて久々に恩田さんの顔を見にくる事にしたんだ。

VIPルームで待っていると、白シャツにデニムというカジュアルな姿で恩田さんが入ってきた。

「中道さん、最近香織ちゃんにあった?」

「そういえば、春から会ってないなぁ」

「なんかね、スタッフのゆかりちゃんが辞める辞めないで色々あったようで、前ここに来てブーブー言ってたわよ(笑)」

「そうなんだ(笑)じゃ久しぶりに香織ちゃんに連絡とってみるかな。ちょっと元気ももらいたいしね」

「ん?中道さん、どうかしたの?」

「どうもしてないから、ぐじぐじと悩んでるだけなのかも・・・。ウェブデザインの仕事はおかげさまで順調に入ってきてるし、ブライダルのコンサルも引き続きさせてもらってる。ホテルの深夜バイトはだんだん身体にキツくなってきたけどね、それなりに続いてる。この一年でこんなライフスタイルが固定化されてきて、今はそれを必死にこなしてるって感じかな」

「私も一緒よ。目の前の仕事に追われるばっかりで、やりたい事が出来てるようで出来ていないようで・・・」

「でも恩田さん、また雑誌載るんでしょ?」

「うん、そんな話はちょこちょこいただくんだけどねぇ。あ!そうそう、今度エステの本を出版するかも。出たら連絡するから宣伝してね!」

恩田さんとは少し雑談した後、お店の新スタッフの撮影を済ませ、僕は芦屋をあとにした。

次に向かったのは夙川のイゾーラ。あれから代表の鈴木さんとは何度か会って交流は深めているんだけど、今日はいよいよ最終の返事をするためにアポをとっていた。

今お付き合いされているプロデュース会社との契約期限が来年3月のようで、来期から組むプロデュース会社を何社かあたっているようだった。

鈴木さんは、今日もまた高そうなおしゃれなスーツで僕の前に現れた。

(恩田さんといい、鈴木さんといい、キラキラしていて今の僕には眩しいなぁ。えらい違いだ・・・)

「中道さん、どう?考えてくれた?今回は中道さんの他にも神戸のプロデュース会社を何社かあたってはいるけど、中道さんがやってくれるなら僕は中道さんとやりたいと思ってる」

「こんな僕に、そんな風に言ってくれて本当にありがとう。鈴木さんと初めて会ったのは確か3月くらいだったよね。今お付き合いされてるプロデュース会社との契約があと1年残ってるとその時に聞いて、僕としては1年も経てば、僕自身の環境にも変化がでてるだろうから、イゾーラのプロデュースをできるようになってればいいなぁと思ってた。でもね、この1年あまり変化がなくて、結局のところ新たな一歩を踏み出せそうにないんだよね・・・。申し訳ない」

「そうかぁ。それは残念だなぁ。中道さんとだったら、僕たちも新郎新婦も皆が楽しめる結婚式ができるって思ってたのに・・・」

「ギリギリまで返事できなくてごめんね。何かさ、自分自身が不甲斐なくて・・・、嫌になる」

「いやいや、こればっかりはタイミングもあるだろうし。たぶん今はそういう時期じゃないんだよ。でもこれで中道さんとの付き合いが無くなる訳ではないんだし、今回はあきらめるけど何かあったらサポートしてよ」

僕は鈴木さんにとことん頭を下げ続けた。

(ここまで言ってくれてるのにホント情けない)

自己嫌悪をぬぐい切れぬまま、僕はイゾーラに正式にお断りしたその足で北野のドレスショップホワイトルームを訪れた。

「中道さん!今日は何?」

フィッティングルームの奥から元気な松田さんの声が聞こえてくる。
僕は今日イゾーラに正式にプロデュースの話をお断りした事を報告した。

「松田さん、せっかくいいお話くれたのに、ごめん。まだ今の僕には荷が重くて・・・」

「もう相変わらず真面目やなぁ。そんなん考えずにやっちゃえばいいのに」

「うん。足を踏み出さなきゃ前に進まない事はよくわかってるつもりなんだけど、今は全てにがんじがらめのような感じで」

松田さんには申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
やる気にさえなればいいのかもしれないけど、今の僕はまだまだ暗闇の中にいるようで心も身体も思うように動かない。断念せざるを得ない自分が嫌になって仕方がなかった。

松田さんとしばらく話をしたあと、僕は北野坂をあがり、いつもの萌黄の館に向かった。

異人館街を見渡しながら、ふぅとため息をつく。
(これで僕の神戸ウェディングの夢はひとまず終わったんだな・・・)

神戸北野の終わりとともに、僕はブライダル事業の夢までも、もう終わりにしょうかと考えるようになっていた。

2010年12月27日。

今年ももう年の瀬だ。
真冬の夜の冷たい風に身をかがめ、僕は飲み屋街を歩いていた。

通りを歩いていると何軒かの店のマスターにでくわすので、道端で軽く年末のあいさつをしていく。

(やれやれ・・・また顔をださなきゃいけない店が増えてしまうぞ)

目当てのバーは通りをひとつ過ぎたところにある。

僕はカウンターのいつもの席に座り、いつものようにいきなりガツンとアイラのモルトを頼んだ。

(早く酔ってしまいたいな・・・)

男一人、バーに行く時というのは何かを思う時。分厚い一枚板のカウンターがその思いを吸収してくれる。

人生、一生懸命頑張ってもなかなか思うようにいかない。でもそれを不条理と思ってしまうと余計にしんどいので、それを常と思うようにしなければいけない。

バーにくるのは、そんな風に自己暗示をかけるためでもある。

2杯目は珍しくスコッチベースのカクテル、ロブロイ。息子のこと、そしてワイフのことを想いながら、赤褐色に染まったカクテルグラスを眺め、一気に喉に流し込む。

そして、僕の生きる意味をもう一度確認する。

結局、僕の心は依然として混沌とした中・・・。
2010年は静かに過ぎていった。

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第17話 混沌の森の中 https://himeji-wedding.com/novel/9865/ Thu, 02 Nov 2023 05:19:17 +0000 https://himeji-wedding.com/?p=9865
スウィートブライド代表中道亮物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2010年11月。

クライアントの会社まで着いたものの約束の時間よりだいぶ早く、僕はそのまま車を走らせていた。
しばらく進むと、道路の右手の少し奥に入ったところに檸檬というレトロな雰囲気の喫茶店を発見。

(少し、ここでゆっくりしようかな・・・)

僕は喫茶店に入り、珈琲を注文した。
その時だった。店内のBGMからコブクロの「ミリオンフィルム」が流れてきた。

身体が瞬時に反応する。
何度も何度も披露宴で流した曲。オードリーウェディング時代の数々の新郎新婦様の笑顔が走馬灯のように僕の頭を駆け巡っていった。

僕はとっさに耳をふさいた。
心も身体も耐え切れなかった・・・。

僕はウェイトレスに珈琲のキャンセルを告げ、息を切らしながらすぐにその店を出た。
オードリーウェディングの事を忘れよう忘れようと思っているのに、1年経ってもまだ断ち切れない自分がいた。

(もういっそのことブライダルの世界から逃げてしまいたい・・・)

まだまだ僕は立ち直れていないようだった。

2010年11月3日。

文芸社から大きな封筒が届いた。
実はオードリーウェディングを辞めてから空いている時間にコツコツとエッセイを書き溜めていて、それを作品として文芸社に応募していたんだ。

封筒の中には編集者さんからの手紙が入っていた。

『この度は応募ありがとうございます。残念ですが今回は落選となりました。ただ、中道さんの文体には独特の哀感があり、家族への愛に満ち溢れた文章は、私の心に強く残りました。事務所の中でも周りの編集者たちから惜しむ声があがりました。一日の疲れを癒し明日への鋭気を養いながら豊かで贅沢な時間が過ぎてゆく・・・、そんな中道さんの世界観をエッセイではなく小説としてキチンと書いてみませんか?よければご連絡ください』

何をやっても先が見えず、自分が見えず、どんどんふさぎ込んでた時だったので、この編集者さんからの手紙は僕の心を勇気づけてくれた。
僕はすぐにその手紙をワイフに見せた。

「良かったね」

ワイフのその穏やかな言葉は僕の心の中をを察してくれてるようで、僕は思わず泣いてしまった。

「うん!すごく嬉しい。出してよかった」

(こんな僕でも誰かが見てくれてるんだ)

ただそれだけの事が、今の僕にとっては本当に嬉しい事で大きな大きな心の支えになった。

2010年11月12日。

ピアホテルの深夜バイトから帰宅した僕は、2階の仕事部屋でタック&パティの「インマイライフ」を聴いていた。

7年前、僕は百貨店を退社した。
しばらくは一人で何もせず企業勤めでついたアカを落としながら、僕はただ「充電」という言い訳の時間を無駄に過ごしていた。

先なんて全く見えてやしなかった。自分が何を始めるのかさえはっきりしてなかったんだから。
そんな僕が当時よく聴いていたのが、タック&パティ。ソウルフルな歌声と甘いギターの音色にどれだけ救われただろう。

久々にタック&パティを聴いてると、涙がでてきた。

(最近は涙腺がゆるみっぱなし・・・)

あの何も無かった7年前から、僕はオードリーウェディングという事業を経験し、そして挫折というものも経験した。

(なんか一周まわってあの頃に逆戻りだな)

そんな風に思うと、ますます泣けてくる。
でも僕は、何かにおびえ不安になりながらも、立ち向かって切り開いてきた。闘いながら傷つきながらも、一生懸命歩いてきた。

逆戻りのようだけど、決してそうじゃないはずだ。僕は前に進んでるんだ。タック&パティのギターの音色が僕の心にとても心地よく響いていた。

2010年11月24日。

今日は僕とワイフの14回目の結婚記念日。
14年も結婚生活してると色んな事があって、順風満帆なんてないものだ。

ワイフは常に平凡を望んでいた。
僕は常に上昇欲をもっていた。

2人の間に欲の差が天と地ほどあったんだ。
でもこの14年という歳月はかたくなな僕をワイフの方向に向かわせたように思う。

今になって僕はワイフの考え方に賛同するようになった。少しワイフの心の中がわかったような気がしている。14年も一緒にいて、ようやく「たった少し」だけど。

あと何年、ワイフが僕と一緒にいてくれるかわからないけど、その間にひとつでも多く共鳴できるものがあればいい。

結婚は大きな人生勉強のひとつだ。

合わないからと投げ出していては、いつまでたっても学べない。他人と一緒に暮らすということはそういうことなんじゃないかな。

結婚記念日の今日、今年よりもさらに来年の結婚記念日がいい時間でありますように・・・。ちょっと気は早いけどそんな風に考えながら、僕は深夜バイト先のピアホテルまで自転車を走らせた。

2010年11月25日。

深夜バイトが終わり、着替えていたら電話がなった。ドレスサロン「シンデレラ」のオーナー松下琴美さんからだった。

「中道さん、今日時間作ってくれない?大事な話があるんだけど」

少し重い空気を感じた。

「今からでよければいいですよ」

自転車で西へ15分ほどのところにそのドレスサロンがある。サロンの前に自転車をとめて入ると松下さんは驚いたような笑顔で歓迎してくれた。

「わぁ!中道さんのジャージ姿、新鮮(笑)いっつもビシッとしたスーツ姿しか見てないから」

「今、ホテルのバイト終わったとこなんですよ。こんな格好ですみません」

「いやいやこちらこそ、お疲れの時に呼び出してごめんね」

「松下さん、どうしたの?なんか重たい感じだけど」

「実はね、年内でこのサロン閉める事にしたの。ブライダルは辞めて違う事をしようかなって」

「え!!閉めちゃうの?それは残念だなぁ・・・。松下さんにはずっとこの業界で頑張って欲しいのに」

「ありがとう。自分なりには精一杯やったかな。それと息子が就職したからそんなに稼がなくてもよくなったしね。中道さんはこれからどうするの?」

「いやぁ・・・、それがまだ何にも。今はプチウェディングでお世話になってるんだけど、プチウェディングがある程度軌道に乗ったら、一応そこでひとつの区切りをつけようかなと思ってる。このままいったら、デザイン事務所を作ってデザインの方で生きていく事になるかも」

「え?中道さんがブライダル辞めるの?」

「いや、まだ何にも決まってないよ。でも、もうブライダルはいいかな、なんて思ったりもしていて・・・」

「実はね、今私が所有しているウェディングドレスを処分するには忍びなくて、できたら私の想いが残るところで生かしてやりたいなぁと思ったの。すぐに中道さんの顔が浮かんで。そんな私の想いを託せるの中道さんしかいないから」

後日、僕はプチウェディングの神谷さんに相談し、松下さんのウェディングドレスを引き取る事にした。
松下さんの魂がこもったドレスたち・・・、その1着1着は松下さんの娘のようでもあった。

(大事に守ってあげなきゃ・・・)

僕はまたひとつ大きな責任を背負ってしまったように感じた。

逃げ出したいとまで思い始めたブライダル。
でも逃げられなくて・・・、自問自答と葛藤が日々僕の心の中で揺れ動き、混沌とした渦の中で懸命にもがいていた。

2010年11月30日。

パソコンが完全にショートし、ここ数日は本当にまいった・・・。

ウェブの仕事に身をおく者にとって、パソコンが不具合に陥るという事態ほど厄介なものはない。でも、パートナーの岸田君が復旧に尽力してくれた。

本当にありがたい。
仕事は一人じゃできないんだ、と改めて実感する。

今夜は、そんなパートナーに感謝しながら、ようやく復旧したパソコンに全てのクライアント様のデータを流し込む。まだあと2時間くらいはコピーにかかるかな・・・。

僕はキッチン棚からジョニ黒をとりだし、リビングのソファに腰をおろした。ジョニ黒のロックを一杯やりながら、アートペッパーの音色に浸る。

時計を見るとすでに深夜2時を過ぎていた。

僕の物音がうるさかったのか、それとも眠れないのか、ワイフが2階の寝室から厚手のカーデをまとってリビングへ降りてきた。

「私も一杯もらおうかな」

同じ屋根の下にいても、息子たちがいるとそうそう夫婦二人でゆっくりと過ごす時間なんてないものだ。

そんな今夜は隣のワイフの空気感にやすらぎを感じながら、ジョニ黒をもう一杯・・・もう一杯・・・・。

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第16話 今を楽しく。 https://himeji-wedding.com/novel/9863/ Thu, 02 Nov 2023 05:18:35 +0000 https://himeji-wedding.com/?p=9863
スウィートブライド代表中道亮物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2010年8月。

大きな挫折からちょうど一年になろうとしていた。

僕は特別な未来を想像する訳でもなくただその日その日を精一杯生きてきた。

でもまだ傷が癒えきれない僕は、姫路のメイン商店街であるみゆき通りなどは全く歩けていない。何となく陽の当たる場所を避けているというか、そういうところを歩けない自分がいる。

オードリーウェディング時代は神社挙式の事業が大きな柱だったので、神社という存在はいつも身近にあり、そこで多くの学びを受けていた。

でもこの一年、神社にも行っていない。
何だろうな・・・、神社の大きな鳥居を前にすると自分自身が委縮してしまうんだ。

お寺は敷居が低くて懺悔する自分を迎え入れてくれるように感じるけど、神社は正義の塊が後光を輝かせ鎮座していて、僕なんかが鳥居をくぐろうものなら怪訝な表情で追い払われるような、そんな感情を抱いていた。

大きな挫折をするまで、神社がこんなに恐ろしいところだったとは思いもしなかったな。

そんなある日、僕はある教会を訪れた。
姫路の少し北部にある隣の敷地で保育園を運営している小さな教会だ。

建物に入り、僕は聖堂のある2階に上がった。
中央には大きな十字架があり、そこを取り囲むように中世を思わせるような美しい彫刻が施された古い木の椅子が並んでいる。十字架の横のステンドグラスからはキラキラと光が舞い込んでいた。

「中道さん、おひさしぶり!」

年齢は60歳くらいだろうか。細身でダンディな雰囲気のある牧師先生。先生と会うのは数年ぶりだ。

「先生、今日は時間とってもらってすみません。ちょっと色々あって、懺悔しに来ました(笑)」

牧師先生は僕の顔をじっと見つめた後、僕の手をとってステンドグラスの前まで連れていった。そしてその手をステンドグラスにそっと合わせた。手で触れてみると、そのステンドグラスは平面ではなく、表面が突起したデコボコしたガラスだった。そしてそこに色々な色が貼り付けられていた。

(デコボコしてるから、光が色んな方向に反射してるのか・・・)

近くで見ると本当にキレイな光で、僕はうっとりとそれを眺めていた。そんな僕に牧師先生が語りかけてきた。

「中道さん、全ての人は平等に幸せになる権利があるんです。このステンドグラスから入ってくる光は中道さん含め全ての人を照らしてるんですよ。善人も悪人も皆平等です」

「先生、こんな僕でも幸せになれますか?」

「もちろん。中道さんは幸せにならなきゃ」

僕はその牧師先生の言葉に涙腺が崩壊し、不覚にもそのステンドグラスの前に倒れ込み慟哭した。

(人前であんなに泣き崩れたのは初めてだった。この日の事はおそらく一生忘れないだろう。僕にとっては大きな大きな出来事だった)

「生きることは学ぶこと」そして「生きることは幸せになること」と、牧師先生は教えてくれた。この日僕はまだまだ立ち直れていない自分を知った。

(もう一度ちゃんと自分自身と向き合わなきゃな)

その日の夜。
僕は大好きなジョニ黒をロックでやりながら、自分自身と対峙した。

この一年、僕は生活のために請負の仕事を手あたり次第に受けてきた。そうしながら仕事との繋がり方を模索していた。

そこで気づいた事があった。
僕自身は根っからのベンチャー気質のようで、フリーランスで請負の仕事を承るスタイルよりも、自ら何かを立ち上げて発信していくスタイルが好きなんだと。

僕にとって事業とは、僕の居場所でもあった。
オードリーウェディングという存在はまさに当時の僕にとっての居場所だったから。

生き方が不器用な僕は、自分の居場所は自分で作るしかないんだろう。そう思うとそろそろ新しい事業を真剣に考える時期にきたのかもしれない。そんな風に思った。

でも人生哲学というものは、ビジネスとはまた別のところにあって、この一年、僕はその事も一生懸命考えてきた。

ワイフのこと、息子のこと、そして自分自身のこと・・・。

どん底に落ちたおかげで色んな事が見えた一年だった。さらにワイフという大切な存在を改めて実感する一年でもあったように思う。

僕の人生の全てをワイフに捧げたい。
今はそれが僕の全てのように思った。

2010年9月1日。

姫路マンハッタンホテルが撤退し、そこを買収するような形でピアホテル姫路がオープン。マンハッタンホテルで深夜バイトをしていた僕は、マンハッタンホテルのはからいでピアホテル姫路でも引き続き勤務させていただく事になった。

ただこれまでの地方ホテルと違い、全国区のホテルなので仕事のやり方や考え方など全てが違い、当初は業務内容を覚える事に必死だった。マンハッタンホテルから継続してバイトしてるのは3名だけでその他は新しいスタッフに入れ替わっているので、人間関係もゼロからのスタートになった。

何かが色々動き出したような・・・、そんな気持ちだった。

2010年10月1日。

ワイフの誕生日。
もう誕生日なんて嬉しくない年齢になっているだろうけど、本人よりも息子たちにとって大好きなママのバースデイは楽しい一日のようだ。

息子たちからワイフへのプレゼントはビデオレター。

兄弟による初の輪唱「森のくまさん」の歌のプレゼントだ。4歳の次男が頑張って、おっかけのフレーズを担当。初めてにしてはなかなか上出来な輪唱だ。

夜は人気のバイキング店で好きなものをたっぷり。デザートもいっぱいだから、ちょっとした誕生日パーティーになったかな。

息子たちがいるおかげで全てがとっても楽しいイベントになる。子供というのは、本当にありがたい存在だと実感する。

夜になり息子たちが寝静まってからバランタインをあけた。ワイフは水割り、僕はロックで。
そして僕たち夫婦にとってとても大切な曲、リチャード・クレイダーマンの「鳥を夢みて」をかける。

僕とワイフが恋におちたあの頃が蘇る。

「もっと楽しく生きたらいいんじゃない?」
これは昔からワイフが僕によく言う言葉。よじ登ろう、這い上がろう・・・という感じで、自ら辛く険しい道を選んでいるように見えると、いつもワイフから言われていた。

「自分のレベル以上を求めると疲れるでしょ。もっと自分のレベル内で目いっぱい楽しめばいいじゃない。」

確かにそうかもしれない。

リチャードクレイターマンの「鳥を夢みて」を聴きながら、色んな事を思い浮かべる。でも僕は過去を振り返っても、楽しいと思える記憶があまりなくて・・・。それは常にこのままじゃダメだ的な脅迫観念の中で生きてきたからにほかならない。

年齢を重ね、また失敗を重ね、少しずつ肩の力が抜けてきてはいるけど、まだまだ自分の中のコンプレックスのようなものが大きく心を支配している。

ただワイフの言ってる事もよくわかってるつもりだ。
たぶん、生き方のバランスが悪いんだろうな。少しずつでいい、ゆっくりと自分を変えていきたいと思う。

いつも笑顔で、そして今を楽しく・・・・。

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第15話 僕と家族の未来 https://himeji-wedding.com/novel/9861/ Thu, 02 Nov 2023 05:17:53 +0000 https://himeji-wedding.com/?p=9861
スウィートブライド代表中道亮物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2010年3月20日

眩いばかりの朝陽がカーテンの隙間から差し込む。
昨夜プチウェディングから帰宅してから神戸北野のブライダルプロデュースの事を考えてると眠れなくて、気がつけば朝になっていた。

立ち上げ費用や広告宣伝費用など現実的な問題もあるんだけど、僕の中でそこはあまり重要ではなかった。
それよりも北野という場所での戦い方がどうしてもピンとこない。そこが一番の問題だった。

本音を言うと、勝つ自信が持てなかった。

ひと晩悩んではいたけど、もう僕の気持ちは固まっているようだった。断るならば、あまり先延ばしにしない方がいいだろう。

(情けないけど、今の僕はまだ走れる状態じゃない。もう少し体力をつけなきゃ・・・)

僕は朝一番にブライトリングの岩崎さんとロフォンデの石田支配人にメールをした。

岩崎さんは忙しそうな感じだったけど、石田支配人は今日大丈夫という返事だったので、僕はすぐに神戸に向かうことにした。

ランチ営業前の10時30分にロフォンデに着いた。石田支配人の顔を見るや、僕は深々と頭を下げた。

「石田支配人、申し訳ありません。今回いただいた北野でのブライダルプロデュースの話、あきらめる事にしました」

「そうなんですか。それは残念。中道さん、これから何か他の事業をするの?」

「いえいえ、今回のお話は僕にとっては夢のような話で本当にありがたかったんですけど、じっくり考えれば考えるほど今の僕にはこの北野で勝負するにはまだ力不足だなという結論になって・・・。すみません」

「中道さんはホント真面目な人だね。わかりました。でもこれから何でも協力できる事あったら言ってね。応援してるから!」

石田支配人には、ただただ頭を下げるしかなかった。ロフォンデを出た僕は気がついたら異人館萌黄の館の前にいた。

(この数ヶ月、色々あったなぁ・・・)

夢を見て、嬉しくなって、ワクワクして、でも悩んで、落ち込んで、嫌になって。つくづく情けない男だと痛感したこの数ヶ月だった。

萌黄の館前のベンチでいつものように缶コーヒーを飲み、そろそろ帰ろうかと思った時、電話が鳴った。ドレスショップホワイトルームの松田さんからだった。

「中道さん!今日北野来てるの?会えない?」

(いつもの事だけど、僕は色んなところで発見されてるなぁ。背高いと目立つのかな)

ホワイトルームの店内に入ると、松田さんがニコニコして飛んできた。

「昨日夙川のイタリアンレストラン『イゾーラ』で打合せしてたら専属のプロデュース会社を変えるようで、いいプロデュース会社あったら紹介してほしいって言われてね。パッと中道さんの顔が浮かんだのよ。今日電話しようと思ってたらうちのスタッフが中道さん歩いてたって言うから。北野は仕事で?」

内緒にする事でもないので、僕はこれまでの経緯を簡単に松田さんに説明した。

「え!そうやったの!僕が中道さんと初めて出会ったのはオードリーウェディングの立ち上げで中道さんが夢を語りまくってた時やったよね。その中道さんがオードリーウェディングを辞めたと聞いても全然ピンとこないわぁ。じゃ、これからどうするの?」

「まだ全くの白紙。今は毎日の飯を食うためと借金返済のためにやれる事は何でもやってる状態かな」

「じゃこのイゾーラの話、どう?悪くないと思うんだけど」

少し渋る僕を松田さんが強引に引っ張るような感じで、来週イゾーラに行く事になった。

すぐに断るべきだと思いながらも心のどこかにまだ可能性があるんじゃないかと期待する自分もいて、僕はとても複雑な気持ちの中にいた。

神戸から帰宅した僕はすぐにブライトリングの岩崎さんへメールを書いた。
かなりの長文になったが、今の僕は北野という場所で戦う自信が無いという事をありのままの素直な自分の言葉で伝えた。

後日、岩崎さんから返信が届いた。
結局この件について岩崎さんとはこのメールのやりとりを最後に、しばらく会う事はなかった。

週明けの月曜日。
姫路マンハッタンホテルの深夜バイトが終わり、一度帰宅してから車で神戸の夙川へ向かった。

たまに来る夙川は、その都度微妙に表情を変えているように感じた。

イゾーラに着き、駐車場から螺旋の階段を降りるとモダンですっきりしたモノトーンのエントランスが出迎えてくれた。

(わぁ、さすが神戸やなぁ!このオシャレ感は姫路には無いなぁ)

あまりのオシャレさにうっとりしながら店内に入ると、女性スタッフがガラス扉で仕切られた個室に案内してくれた。

店そのものは地下にあり、空から差し込む光が滝のように水が流れている壁に反射し、その一面にツタのようなものが絡まっていて、とてもステキな非日常空間が演出されていた。

しばらくすると、真っ黒の細身のスーツを着た短髪で爽やかな男性が現れた。年齢は僕と同じ40代くらいだろうか。
代表取締役鈴木雅哉という名刺をいただいた。

(この若さでこの見た目でこの店の代表かぁ。カッコいいな。やり手なんだろうなぁ)

鈴木さんからこれまでの経緯とイゾーラのウェディングコンセプトを聞く。申し分の無い会場だった。
僕と鈴木さんは同年代ということもあり、すぐに意気投合した。すごく気が合って話が尽きる事はなかった。

今回もまた新しいコンセプトのレストランと出会い、少しのワクワクが僕の心を踊りたたせてくれていた。そして新しい人との出会いは新しいビジネスの創造をかりたててくれるものでありがたい気持ちでいっぱいになった。

世間はこんな情けない僕に色んな仕事のチャンスを与えてくれようとする。もう一度表舞台へ引っ張りあげようとしてくれるその優しさには感謝しかなかった。

ただ、今の僕は先週ロフォンデとランブルームのお話をお断りしたばかり。まだまだ次の事業スタイルを模索しているところだ。

僕はオードリーウェディングを失った事で「家族」の大切さを改めて実感し、ビジネスというもののある意味薄っぺらい儚さを痛感していた。

今は自分自身と対峙し、人生そのものを見直している。人生折り返し地点の40代。
次に僕がコレだと決めたものが、おそらく最後の選択になるであろうと感じていた。

鈴木さんの計らいでイゾーラのランチをいただきながらの打合せは仕事の話から人生談義になっていた。

鈴木さんと別れた後、僕は北野のドレスショップホワイトルームの松田さんのところに向かった。

「中道さん!イゾーラどうでした?」

「めちゃめちゃ良かったですよ。オーナーの鈴木さんもいい人だったし」

「鈴木社長は絶対に中道さんと合うと思ってましたよ!で、どうするの?」

「まだわかんない。あまりにオシャレで良すぎたからまだビックリしてる感じかな。今やってるプロデュース会社との契約期限がもう少しあるようだから、その間ちょっとゆっくり考えさせてもらう事にしました。松田さん、いい人紹介してくれてありがとう。ほんまに感謝」

「いやいや、中道さんは元気に飛び回ってないと、らしくないよ。イゾーラやる事になったらうちのドレス使ってよ(笑)」

ホワイトルームを出る頃にはもう18時をまわっていた。高速道路を西へ向かっていると眼前の山裾から赤白い夕陽が広がってくる。神戸の汐風と夕陽がまとわりついて独特の光を発しているんだ。

除々にライトがつき始め、ネオンの波の中を走ってるような感じになる。僕は右へ左へとレーンチェンジを繰り返しながらアクセルを踏み込んでゆく。夕暮れの高速道路を走るのは何とも気持ちがいいもんだ。

カーステレオからは、クオシモードの「モード・オブ・ブルー」。和製ジャズバンドがカヴァーするブルーノート・クラシックス。

パーカッシヴでグルーヴィなサウンドが、なぜか牧歌的な夕空と合うんだな。そしてその情景にある種の想像力がプラスされていき、僕はついさっきのビジネスの話や今している仕事のことを混ぜ合わせながら新しい何かをイメージし、模索していく。

ジャズは「スイングしなけりゃ意味がない」だけど、ビジネスは「創造しなけりゃ意味がない」だな。 

帰宅して晩ご飯を食べた後すぐに2階の仕事部屋に入る。ブライダル脳からデザイン脳に脳みそを切り替え、エステサロンのウェブデザイン制作に取り掛かった。

BGMはウエスモンゴメリーの比較的穏やかな名盤「A DAY IN THE LIFE」をチョイス。ジャケットのタバコが何ともジャジィな感じで好きだ。

僕の愛聴は「男が女を愛するとき」

この曲は、僕とワイフの結婚披露宴のキャンドルサービスのBGMで使用した想い出の曲なんだ。もちろん披露宴で使用したのはオリジナルのパーシー・スレッジのものなんだけど。

こうしてウエスのカバーを聴くと、心が和む。

両家に反対されて決して順風満帆ではなかった僕たちの結婚。当時は大変だったな。
でも結婚14年が過ぎ、今ではあたたく支援してくれる両家。ありがたいことだなと感謝の気持ちでいっぱいになる。

そしてこの曲を聴きながら、こんなことも思う。

(僕はワイフを上手に愛せてるのだろうか・・・)

次の日の夜。
今夜はホテルの深夜バイトは無い。プチウェディングの事務所を出た僕は独り魚町のバーに入った。

バーカウンターに座り色んな事を考えてた。

バーテンダーが先週の店の休みにサントリー山崎蒸留所に行ってきたんだ、と言ってそこでしか売られていないボトルをくれた。

少しの間、山崎蒸留所の話で盛り上がった後、僕は久々にオーバンを頼んだ。なめらかな舌触りの後にくるガツンとした強烈な辛さのバランスが人生そのものを映し出しているようで、僕は好きなんだ。

ハイランド西部のこの酒は、タリスカー同様僕の人生にとって大切な酒。このオーバンのラベルを見てるだけで人生踏みとどまれているような・・・。

焦らないでいいのかもしれない。

自分の未来、そして家族の未来。
自分を見失わず、ゆっくりと探していこう。

僕はオーバンの入ったオールドファッションドグラスを両手でかかえこむように握りしめた。

バーを出ると伊集院静の小説にでもでてくるような美しい受け月が夜空に輝いていた。姫路駅へと向かう僕の千鳥足をそんな美しい受け月がやさしく照らしてくれているようだった。

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